« ビニールハウス越しの世界。 | トップページ | ただいま増量中! »

過去との対話。

昨日心療内科にて、二度目のカウンセリングを受けてきました。

カウンセリングとは言ってもまだ二回目だし、最近あった出来事を話しながら、問題点を探していく…と言った感じのようでした。

今回、ちょっと心身ともに疲れてしまった事があったので、思い切って話してみました。内心こんな事話して良いのかな?馬鹿なことにこだわってると思われちゃうかな?などと躊躇する気持ちもあったのですが、カウンセラーさんは適度に相づちを打ちながら、熱心に聞いてくれました。

話していくうちに、中学生だった頃の事を思い出しました。

私にとっては非常に苦い思い出で、今までずっと思い出すこともなかった記憶でした。

「私ね、親をずいぶん困らせたことがあるんですよ」

そんな出だしで、思わず口にしていたのは、中学一年生の時、登校拒否をした頃の事でした。

中学に進学して最初に私のクラスの受け持ちになった先生は、教育熱心と噂される当時30代くらいの男性教諭でした。

熱血(死語?)とでも言えばよいのでしょうか?

とても理想が高かったのでしょう。クラスの全員が一致団結して、皆仲良くがモットーの先生でした。

先生のモットーは確かに理想的でしたが、引っ込み思案で、人と接するのが苦手な私には、クラスの全員と仲良くうち解けるなんて事は出来なくて、気が付くと一人、友人と呼べる存在もなく、孤立していました。

教育熱心な先生は、何とかして私をクラスの中にとけ込ませようと思っていたようです。

でも私は先生の期待に応えることが出来なくて、そんな自分が嫌で、惨めで、情けなく思っていました。

先生はそんな私が目障りだったのだと思います。

気が付くと先生の集中攻撃の的になっていました。言葉を悪く言うなら、先生にいじめられていた……そんな感じです。

クラス全員がそろったホームルームの時間に、皆の前で名指しで詰られて、泣いたこともありました。

ある時は、皆の前で、お前のような奴は、将来銀行の受付の仕事など出来るはずがない、目が死んでるなどと下げずまれ、涙をこらえました。

何でみんなと仲良くできないのか?と責められるたびに、人に心が開けない自分が嫌で、ますます心を閉ざしていきました。

心を閉ざしたあげく、一言も口をきかなくなった私は、クラスメートから「暗い、根暗」と呼ばれるようになりました。

それでも両親にだけはこんな情けない姿を知られるのが嫌で、ずっと隠し続けていました。

あれは冬休みの直前だったと思います。

通知票が渡されて、成績とともに、担任の先生からのコメントが記入されていました。

そのコメントの内容は今でもはっきりと覚えています。

「人の心を踏みにじっている…」

確かにそう書かれていました。

自称教育熱心な先生にとって、クラスにとけ込ませようとしているのに、とけ込まない生徒である私。

とけ込まないのではなくて、とけ込む事が出来ないのに、彼には私の苦しさは分からなかったのだと思います。

当時私のクラスは先生を筆頭に、まるで洗脳されたみたいに、異様な程皆が仲良くて、今思えばまるで宗教か何かのようでした。

中学一年生と子供だった当時の私たちは、簡単に先生の理想に染まってしまったのでしょう。

中学二年生になってクラスが変わったとたん、あれ程みんな仲良く、一致団結だと言っていたクラスメート達は、てんでバラバラになってしまったのを覚えています。

人の心を踏みにじっている…

そう書かれた通知表を見た母は驚き、私は怒られました。事情を知らない母は、私が悪いことをしたと思ったようです。

泣く泣く事情を説明すると、母は納得してくれました。

しかし、その後年が明けて正月にクラスメートから届いた年賀状の内容を見て、今度は父が血相を変えて私を怒鳴り散らしました。

「お前はいったい何をしてるんだっ!こんな事書かれて!」

今となっては当時年賀状にどんなことが書かれていたのか?思い出すことが出来ないのですが、とにかく父が激怒したことは覚えています。

この時母が身体を張って庇ってくれたおかげで、父にも事情を説明し、納得して貰うことが出来ました。

両親に隠し事が無くなったからなのか、このころから学校を休むようになりました。

登校しなくてはいけない時間が近づくと、お腹が痛くなるのです。

登校したと思ったら、帰ってきてしまう私を、母は怒ってみたり、宥めてみたり、大変でした。

お医者さんにも連れて行かれたことがあります。

みかねた両親は、教育委員会に抗議の電話を入れ、私を同じ町の別の中学校に転校させようとまでしました。

結局ずるずるとそんな日々を過ごした後、終業式を迎えて、私はその先生から離れることが出来ました。

今思えば、彼は本当に理想が高くて、教育熱心なだけだったのかもしれません。

ずっと後になってから知ったことですが、私の両親以外にも抗議した人達がいたようです。

文書で届いた抗議文の筆跡鑑定をしてまで、犯人捜しをしようとしたそうですが、結局それから数年後、先生は別の学校に飛ばされていきました。

今でもその当時の名残なのか、集団が苦手で、とけ込むことが出来ません。

人と上手く接する自信が持てない……もしかしたら私は人間として何か大切な物が欠けているのではないか?だから、上手くいかないんだ。

そんな否定的な呪縛が、今も心の中で息を潜めています。

この頃から胃を悪くして、未だに胃潰瘍になったり、胃炎になったり、弱いままです。

子供の頃のトラウマって、とても大きいのだと思います。

どうして今まで忘れていたのだろう?当時は辛くて、苦しくて、たまらなかったのに。

カウンセリングを受けた後、こんな話しをするつもりではなかったのになぁ…と、しんみりしてしまいました。

こういった過去の記憶をもう一度掘り返すのも、カウンセリングになるのでしょうか?

過去は変えられませんが、これからが良くなる、そう信じたいです。

「経験になったのよ。悩んだことは無駄じゃないと思いますよ」

カウンセラーさんがそう言ってくれたことが、私にとって救いでした。

|

« ビニールハウス越しの世界。 | トップページ | ただいま増量中! »

心と体」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ビニールハウス越しの世界。 | トップページ | ただいま増量中! »